【日常捜査ファイルNo.008】隣の車線だけ流れて見える事件

【日常捜査ファイルNo.008】隣の車線だけ流れて見える事件

  • 事案名称: 選択的車線進行錯覚現象、通称「パラレル・レーン・イリュージョン」
  • 警戒レベル: ★★★★☆(イライラによる無駄な車線変更を誘発し、さらに事態を悪化させる)
  • 捜査難易度: ★★★★★(運転中の密室空間であり、冷静な客観的観測が不可能)
  • 被害対象: 渋滞にはまった全ドライバー、および助手席でナビをする者
  • 目撃情報: 休日の幹線道路、夕方の高速道路、絶対に遅れたくない用事がある日の道

現場証言:被害者たちの叫び

「左車線がスイスイ動いていたので、ウインカーを出して車線変更したんです。その瞬間、私の前でピタッと止まり、元いた右車線が猛スピードで流れ始めました。道路が私を嘲笑っています。」

(30代・会社員)

「夫が『あっちの方が早い!』と何度も車線変更を繰り返した結果、さっき追い抜いたはずの同じトラックに3回も抜かれました。もう車線を変えるのはやめて!」

(40代・主婦)

「隣の車線は蜃気楼と同じだ。あれは実在しない。自分の選んだ道を信じ抜く者だけが、目的地へと辿り着けるのだよ。」

(70代・ベテラン被害者)

事件発生のファイル

「フゥ……。今日もまた厄介な事件(バグ)が舞い込んできたな。」

私は捜査用の覆面パトカー(※15分単位で借りたカーシェア)のハンドルを握りながら、深くため息をつき、保温ボトルに入れた深煎りブラジル産コーヒー(※給湯室にあったインスタント)をすすった。

今回の事件は、File No.001の「レジが進まない事件」にも酷似した、我々の精神をダイレクトに削り取る極めて悪質な事案である。

車を運転中、前方が大渋滞で行き詰まっている時、なぜか自分がいる車線だけが完全に停止し、隣の車線だけが流れるように進んでいくという怪現象だ。

たまらず隣の車線へ移動した瞬間、今度は新しい車線が停止し、先ほどまで自分がいた元々の車線がスムーズに動き出す。まるで誰かが上空から私の車を監視し、進行を妨害しているとしか思えない。私はただちに現場(車内)の状況を分析し、容疑者の洗い出しを開始した。

容疑者一覧(交通網遮断の黒幕たち)

「うーむ……これは実に興味深い。単なる偶然にしては、あまりにもターゲット(私)の動きを的確に封じ込めている。」

私は張り込み用のお気に入りあんぱんを助手席に置き、思考の海へと深く潜っていった。当日常捜査課がリストアップした、3つの恐るべき容疑者をここに記す。

  • 第一の容疑者:人間の心理的錯覚「隣の芝生は青い効果」(現実度:高)自分が止まっている時は、動いている隣の車線の車にばかり意識が向く。逆に自分が動いている時は、前方に集中しているため「止まっている隣の車」を記憶に留めない。結果として「隣だけがいつも動いている」と脳が勝手に錯覚を引き起こしているという、極めて現実的で身も蓋もない見解である。
  • 第二の容疑者:道路交通網の監視結社「トラフィック・コントローラー」(現実度:中)上空の人工衛星や無数の監視カメラを通じて、エージェント(私)の動きを完全にマークしている裏組織の存在だ。私が車線変更のウインカーを出した瞬間、前方のサクラ車両にブレーキを踏ませ、意図的に私服警官の追跡を妨害しているのである。なお、当捜査課ではこの組織の極秘無線を傍受すべくカーラジオの周波数を徹底的にスキャンしたが、現在のところ発見されたのは「渋滞にはまったリスナーからの切実なリクエスト曲」だけである。
  • 第三の容疑者:相対性理論に基づく「焦燥空間の歪み」(現実度:低・妄想)アインシュタインの相対性理論が示す通り、強い重力(あるいは焦り)のそばでは時間の進み方が遅くなる。「早く進んでくれ!」という私の強烈な念が車内周辺の時空を歪め、私の周囲だけ時間の流れを遅くしてしまっているという宇宙規模のバグである。隣の車線が速いのではなく、私の車線だけが「別の時間軸」に取り残されているのだ。

華麗なる迷宮入り

「事態は我々が思っているより深刻かもしれないな……。」

カーシェアの返却時間が刻一刻と迫る中、私はついに痺れを切らした。

「ええい、左車線の方が絶対に早い!」

私はウインカーを出し、華麗なハンドルさばきで左車線へと潜り込んだ。

その直後――キュッ。無情にも前方のトラックがブレーキランプを赤く光らせ、私の車は完全に停止した。

そして右のミラー越しに、先ほどまで私の後ろにいたはずの軽自動車が、颯爽と駆け抜けていくのが見えた。

「…………。」

私は虚無の表情で、助手席に置いていた張り込み用のあんぱんに手を伸ばそうとした。

しかし、急な車線変更の遠心力により、あんぱんは座席の隙間の「絶対手の届かないブラックホール(異次元)」へと転がり落ちていた。

「フゥ……無念だ。」

心理的な錯覚か、あるいは時空の歪みか。今回もまた、決定的な証拠(あんぱん)を掴むことはできなかった。探偵帽を深くかぶり直し、私は返却時間の延長料金を覚悟した。謎がそこにある限り、日常捜査課の戦いは終わらない。

【捜査報告書】

  • 捜査結果決定的証拠なし(座席の隙間にあんぱんが消えたため捜索打ち切り)
  • 有力な容疑者第一の容疑者(心理的錯覚と己の焦り)
  • カピ主任の見解「隣の車線は常に速く見える。人生もまた同じだ。だが、自分の選んだ車線(道)を信じ続ける忍耐こそが……あっ、やっぱ右車線に戻ろうかな。」
  • 捜査状況継続中

私は延長料金の支払いを済ませ、カーシェアのキーを返却ボックスに叩き込むと、新たな事件ファイルを手に取った。

次の現場は――どうやら、リビングのテレビのようだ。

[ >> File No.009:テレビをつけた瞬間CMになる事件 へ続く ]

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。