【日常捜査ファイルNo.079】電話を切るタイミングが相手と噛み合わない事件

【日常捜査ファイルNo.079】電話を切るタイミングが相手と噛み合わない事件

  • 事案名称: 通話終了プロトコル・無限ループ現象、通称「エンドレス・フェアウェル・ループ」
  • 警戒レベル: ★★★★☆(「失礼いたします」「あ、はい、失礼いたしますー」「どうもー」と、無意味なラリーを5往復ほど繰り返してしまう精神的・社会的ダメージ)
  • 捜査難易度: ★★★★★(現代のビジネス・コミュニケーションにおいて「どちらが先に赤いボタンを押すか」という明確な法整備がなされていないため、解決は極めて困難)
  • 被害対象: 相手を不快にさせまいとする過剰な配慮と、「ガチャ切りされた」と思われたくないという防衛本能を持つすべての善良な社会人
  • 目撃情報: スマホを耳から5センチほど離し、通話終了の「ツーツー」という音を確認しようとするも無音のため、再び慌てて耳に当てて「あ、はい、失礼します」と虚空に向かって呟いている姿

現場証言:被害者たちの叫び

「相手が目上のお客様だったので、絶対に私から切ってはいけないと心に誓っていました。しかし相手も同じことを考えていたようで、お互いに『……』『……』と、受話器越しに鼻息だけが聞こえる謎の沈黙タイムが15秒続きました。」

(20代・会社員)

「『それでは、よろしくお願いいたします』『はい、失礼いたします』『失礼いたしますー』『あ、どうもー』『はいー』……。あの終盤のラリー、テニスのウィンブルドン決勝戦より長く感じます。最後はもう、フェードアウトするように声を小さくしていくしかありません。」

(30代・自営業)

「電話を切るという行為。それは居合斬りだ。どちらが先に刀を鞘に収めるか。早く収めすぎれば礼節を欠き、遅すぎれば時間を無駄にする。現代人は皆、見えない刀の前で怯えているのだよ。」

(70代・ベテラン被害者)

導入:事件発生のファイル

「フゥ……。今日もまた厄介な事件(バグ)が舞い込んできたな。」

日常捜査課のデスクで、私は深くため息をつきながら淹れたての深煎りブラジル産コーヒー(※給湯室にあったインスタント)をすすった。

今回の事件は、我々が社会を生き抜くための最重要ツールである「音声通話」において、最後に必ず待ち受けている極めて高度な心理戦トラップである。

用件が完全に終わり、お互いに「それでは、失礼いたします」と完璧なクロージングの言葉を交わしたはずなのに。なぜか相手も自分も電話を切らず、気まずい空白の後、同時に「あ、はいー」「どうもー」と声を発してしまい、再びお辞儀のループへと引きずり込まれるという怪現象だ。

なぜ我々は、スマートに赤い「終了」ボタンをタップできないのか。この、電波の向こう側で繰り広げられる過剰礼節の真相を、私が暴き出してみせよう。

展開:容疑者一覧(通話切断阻害の黒幕たち)

「うーむ……これは実に興味深い。これほどまでに完璧なタイミングで、私のハードボイルドな決断力(赤いボタンを押す指)を鈍らせてくるとは。」

私は張り込み用のお気に入りあんぱんをかじりながら、思考の海へと深く潜っていった。当日常捜査課がリストアップした、3つの恐るべき容疑者をここに記す。

  • 第一の容疑者:脳の「過剰配慮・エコーチェンバー」(現実度:高)「自分から切ると冷たい人間だと思われるのではないか」という日本特有の過剰な礼節プロトコルが、脳内で暴走している状態。相手も全く同じ防衛本能を働かせているため、お互いの「どうぞどうぞ(ダチョウ倶楽部現象)」が電波越しに共鳴し合い、永遠に終わらない無限ループ空間を構築してしまうという心理的容疑者。
  • 第二の容疑者:通信ラグによる「フェイント・クロージング」(現実度:中)現代のVoLTE(高音質通話)やIP電話における、コンマ数秒の微細な通信ラグの仕業。あなたが「失礼します」と言い終えた時には、相手はすでに次の「あ、はい」を発している。この微妙なズレが、お互いに「あっ、まだ何か言おうとしている!」という誤認を生み出し、切るタイミングをことごとく粉砕するのだ。
  • 第三の容疑者:回線の魔物「サイレント・リスナー」(現実度:低・妄想)電話回線の奥底には、人間の「気まずい沈黙」を主食とする魔物が潜んでいるという説。彼らは通話の終盤、あえて双方の「切断ボタン」の接触を悪くし、お互いの息遣いだけが聞こえる気まずい空間を強制的に作り出して、その空気を美味しそうに啜っているのである。

オチ:華麗なる迷宮入り

「事態は我々が思っているより深刻かもしれないな……。」

ある平日の午後。私はアジトのデスクにて、現在手がけているWebデザイン案件のクライアントと、今後のサイト構成について綿密な電話ミーティングを行っていた。

相棒であるPixel 10 Pro XLのクリアな音質が、先方の要望を正確に私の耳へと届けてくれる。

「フッ、名探偵たるもの、クライアントの隠されたニーズ(事件の真相)を的確にプロファイリングし、最高のデザインで解決してみせるさ。」

30分にわたる白熱した議論の末、方向性は完全に固まった。

あとは、この通話をスマートに終わらせるだけだ。

「それでは、いただいた資料をもとにトップページのラフを作成いたします。引き続き、よろしくお願いいたします。」

私はハードボイルドかつ完璧なトーンで、クロージングのセリフを放った。

『はい、承知いたしました。楽しみにしております。それでは、失礼いたします』

クライアントからも、完璧な返球が来た。

(よし、ミッション・コンプリートだ。)

私は「失礼いたします」と返し、相棒(Pixel)を耳からスッと離し、画面に表示された赤い「通話終了」ボタンに親指を伸ばした。

……しかし、画面にはまだ通話時間のタイマーが「31:12…31:13…」と無慈悲に時を刻み続けていた。

相手が、切っていない。

(……チッ! 相手はクライアントだ。受注側である私から先にガチャリと切るなど、プロフェッショナルの名折れ! 相手が切るのを確認してからボタンを押すのがマナーというものだ!)

私は親指を空中で止め、スピーカーから「ツーツー」という音が鳴るのを待った。

しかし、聞こえてくるのは微かなノイズと、相手の衣擦れの音だけ。

3秒後。

沈黙に耐えきれなくなったクライアントのスピーカーから、微かな声が漏れ聞こえてきた。

『……あ、はい、失礼しまーす』

(いかん! まだ繋がっていると思われている!)

私は慌てて相棒を再び耳に当て、反射的に言葉を発した。

「あ、はい! どうも失礼いたしますー!」

『あ、いえいえ、こちらこそー。失礼いたしますー』

「はいー、失礼しまーす……」

地獄のループ、突入である。

お互いに「自分が先に切ってはいけない」という呪縛に囚われ、言葉のキャッチボールは次第に「はいー」「どうもー」という、意味を持たない単なる音声信号へと劣化していった。

(ええい、忌々しい! このままではバッテリーが尽きるまで挨拶を交わすことになる!)

私はついに決断した。次に相手が「失礼しまs」と言いかけたコンマ1秒のタイミングで、私は目をつむり、親指に渾身の力を込めて赤いボタンをターンッ!とタップした。

『ピッ』

通話は唐突に切断され、アジトに静寂が戻った。

だが、その切り方はどう考えても「相手の言葉に被せて強制終了させた」、極めて無礼なタイミングであった。

「…………やってしまった。」

デスクの横では、我が家の白黒の愛しき同居人(猫)が、「お前、最後ちょっとキレ気味に電話切ってただろ」とでも言いたげな、呆れ返った視線を私に送っていた。

「フゥ……無念だ。」

過剰配慮のエコーチェンバーか、フェイント・クロージングのラグか。今回もまた、スマートにビジネス通話を終わらせ、余韻を残して受話器を置くという決定的な証拠を掴むことはできなかった。探偵帽を深くかぶり直し、私は「次回の打ち合わせの冒頭で、今日の切り際について一言謝罪すべきだろうか」と激しく葛藤しながら、黒い画面に反射する自分の疲れた顔を見つめた。謎がそこにある限り、日常捜査課の戦いは終わらない。

【捜査報告書】

  • 捜査結果決定的証拠なし(相手の出方を窺いすぎた結果、最終的に最も最悪なタイミングで強制切断する羽目になったため)
  • 有力な容疑者第一の容疑者(「失礼のないように」という配慮が、かえって最大の無礼を生み出す日本人の悲しき性)
  • カピ主任の見解「電話を切るボタンは、爆破スイッチだと思え。一度『失礼します』と宣言したら、振り返るな。相手の『あ、どうもー』が聞こえる前に、確固たる意志で赤いボタンを押し込め。気まずさは、一瞬の火花と共に散る。」
  • 捜査状況継続中(クライアントに変な印象を与えていないか気に病みつつ、デザインツールの新規キャンバスを無言で立ち上げ中)

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